信号テコ扱い所付近の上屋は昭和38年10月の建物資産標となっていました。

改装されたのでしょうか。
信号テコ扱い所と思われる部分のホーム側面を確認してみると埋められた跡があります。

やっぱりな。
更に富山方、駅本屋ならびには車止め跡が残っています。

側線があったのでしょうが、現在は舗装されて駐車場になっていました。

2・3番線ホームは植込みもあって昔ながらの雰囲気です。

待合室は比較的大きくて妻側のみに出入り口があります。

自立式駅標。

富山方場内、山間の小さな街であるコトが判ります。

反対の岐阜方もやはり山。

駅本屋並び・富山方には大きな上屋がありました。

かつて列車の先頭に荷物車が連結されていた名残でしょうか。駅をよく観察していると時折線路にまでかかるような大きな上屋が残っているのを見かけます。
まだ続きます。

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