亀戸駅観察[13年GW狭間の駅観察2]

GW狭間、東京駅から総武線快速で錦糸町に抜け、総武線緩行線に乗り換えて亀戸にやってきました。

総武線緩行線の千葉寄りは殆ど改造されてしまい面白みのある駅は無いと記憶しているのですが、都内は両国など興味深い駅が残っているためにどんな感じか調べておきたかったのですよ。



上屋構造材はH鋼となっていて面白みはありません。

1番線外側にある越中島支線との間の敷地が気になりますね。ムカシは何かあったのですか?
振り返って千葉寄り。

やっぱり越中島支線との間の敷地が気になるな。
2番線外側は総武快速の線路、その向こうが東武亀戸線の亀戸駅です。

屋根しか見えないので雰囲気が判りませんね。
ホームは支柱も....

上屋もH鋼製で一つも面白くありません。

1番線外側はスペースを保ったまま....

変なカタチで終端となります。

ってか、駅本屋かな?
よく見ると越中島支線の橋脚部って架け替えられているようですね。

って、千葉寄りと受けが合致しませんが何故?

錦糸町寄りの1番線外側も不明の空き地は広がっていて、何とも気になるのでした。

駅の構造自体は面白くないのですが、周辺に謎が多い駅ですね。
亀戸駅はオシマイです。

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Comments [2]

たしかこの区間の複々線化は昭和47年に出来上がっているのですが、それ以前の越中島支線は、この駅から分岐していたそうです。構内ですから、同じ平面でしょうね。
複々線化を機に新小岩から貨物専用のレールをひいたようで、そのときにこの亀戸での立体交差ができたようです。

もっともっとむかし、100年以上のむかし、東武鉄道の開業当初の始発駅もこの亀戸だそうです。
で、鉄道国有化以前の総武鉄道に乗り入れ、両国発着だったとか。
そうすると、総武線を盛り土にしたのはいつだったのか?

で、悲しい話。
東京大空襲のとき、総武線と越中島支線に挟まれた三角形の土地に、火に追われて逃げ込んだ人々が数百名、ここで亡くなったそうです。盛り土を越えることができなかったのですね。
合掌。

築堤はだいぶ年季が入っていますよね。都内には色々と歴史があるのだなぁ。東京駅・上野駅や万世橋付近だけが歴史が残っているワケではないのですな。

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