貨物ホーム跡の線路末端にはPC枕木が置かれているだけでした。
PC枕木というコトからも一部撤去されて現在の姿になったと推測されます。
駅本屋方を見ると外側に土留めがあったような跡が続いています。
跨線橋脚柱の向こう側に見える倉庫の駅本屋方には何かの跡がありました。
車止めというわけでもないと思うがな。
しかしこんな山の中でも交換可能駅を作り、貨物輸送までしていたというのはかつての鉄道輸送の重要性がいかに高かったかを示しています。
2番線外側にもスペースはあるようですが、鉄道施設があったのかどうかは不明です。
古い航空写真を見る限り、側線があったようには見えません。
駅本屋戻って時刻表。
運賃表から富山が消え、太多線が含まれるようになりました。
渚駅はコレでオシマイです。
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