[千葉県道143号南総昭和線 その3]
県道にある標識は総て県管轄下と思っていたのですが、通学路の標識は袖ヶ浦市となっていました。
学校の管理は市町村なのでそれに関する標識も市町村というコトでしょうか。
通行止めの案内があってちょっとギクッとしましたが、コレから進む道ではありませんでした。
少し進むと川原井交差点、K143は右に進みますが先程規制がかかっていたのは左に進む幽谷通り側のようです。
かつて鉄道でも走っていたかのような橋が架かっていました。
交差点を過ぎて振り返ると再び交通規制看板。
少し進むと地蔵が何体か並んでいました。
天保十五年、ですか?1845年ですね。
コチラは元治元年、1864年でしょうか。江戸時代後期のものでしょう。
更に進むと金堀通りとの交差点。
坂を上るとK300のはずですよ。
まだ続きます。
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